乙寧ディザスター

ネットニュースが伝える君の武勇伝

しゃぼん玉

鬱屈とした頭の中を駆け巡るのは、自分が今までやってきた恥ずかしい行為の数々です。

 

自分の欠点短所を境遇や環境のせいにする人は大っ嫌いです。然程、家庭環境が悪くないのにメンヘラを装ってる人も大っ嫌いです。

他人と比べる人も大っ嫌いです。

 

 

 

心配されて気持ちよくなっちゃってる自分も大っ嫌いです。

 

 

 

家族愛は本当に存在するのでしょうか。

生きてきて、こんな自分でも優しくしてくれる友達や大人もいる事を実感できましたが、他人だからなのかもしれません。

「他人」の枠を超えて「家族」ではなく「仲間」として大切にしていきたいと思うようになりましたが、疑問はずっと無くなりません。

家族愛とは一体なんなんでしょう。

 

本当のお母さんは、いつも幼稚園が終わったらお菓子を作ってくれて絵本を読んでくれました。寝る前も「大きなのっぽの古時計」を子守唄で歌ってくれて、その時間が至福だったのは今でも鮮明に覚えています。

 

僕が小学生に上がる時には亡くなってしまいました。

 

もう前までのお母さんは居ませんし、

神様は絵本も子守唄もお菓子も全部僕から取り上げました。

 

 

 

もう1人のお母さんは絵本を読んでくれませんでした。

本を読むという行為はもしかしたら寂しさを紛らわせる為にしていたのかもしれません。

 

もう1人のお母さんともう1人のお父さんは僕を虐待してきます。

「早く死ねばいいのに」とずっと思ってましたが、もう1人のお母さんもいなくなってしまったら、本当のお母さんはきっと帰ってこないのかなと思いずっと本当のお母さんを待ち続けました。

 

もう1人のお母さんとお父さんに教えてもらった暴力をペットの猫に教えてあげたら、2人は僕の事を怒って「悪魔」と言い、また暴力でこれは悪い事だと教えてくれました。

 

お母さんは今も帰ってこないです。

 

 

大切な人はみんな僕の周りからいなくなってしまいます。

 

 

 

お金も住む場所も安心できる場所も頼れる人も何もない。

 

 

 

静寂には音があると知った。

 

 

 

 

 

僕は、迷李くんになった。

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